ろうけつ染めとは、筆やチャンティンといった筆記具を利用し溶かした蝋を布に付着させることで染色する技法である。この技法は液体の蝋を線画として用いることで、細かい模様や絵画のような具象的な表現を可能にしている。現代におけるろうけつ染め作品では、蝋引きされた細やかな線と鮮やかな化学染料の使用によりイラストや絵画のような作品が目立つ。
私はろうけつ染めに取り組む中で、従来のろうけつ染め技法の中で用いられるチャンティンや筆記具の存在がろうけつ染めの表現の幅を具象的なものへと狭めているのではないかと感じた。蝋自体が流動性があり、温度によって形を変えるという特徴を持ちながら、従来の技法では線画として蝋を用いるだけでその特徴を十分に生かしきれていない。チャンティンや筆といった筆記具の使用から脱却することで、従来のろうけつ染めのような具象的な表現ではなく、新たな表現ができると考え本制作に取り組んだ。
本制作では、ろうけつ染めにおける従来の技法とは異なる新たな手法を複数確立した。それらの手法では液体同士の温度差や交わり、流れなどの自然の力を利用することで、人間のコントロールを超えた多様な表現が可能となった。蝋と片栗粉を溶いたお湯を布の上で混ぜ合わせるかたくり染めでは、液体中の片栗粉に染料が定着することで新たな質感をもつ濡れ色表現が可能となった。また、お湯と蝋が混ざり合うことで蝋と染料の境界線がぼやけ、様々な曲線や濃淡が現れた。水面の上に蝋を垂らし、布に吸着させる水転写染めでは、水面に漂う蝋の動きをそのまま染色することが可能となった。ろうけつ染め特有のひび割れ表現も重なることで出来上がった布は顕微鏡写真のような模様が生まれる。布に付着した蝋を熱湯で溶かし染色する溶かし染めでは、溶かした蝋の一部が固まり生まれる細かい模様や濃淡など、様々な表現が生まれる。また、これらののような平面上の表現だけではなく、蝋の付着した布の固さに注目することで布を立体に起こす表現も模索した。布に付着した蝋を完全に落とし切らず、布に固さを残した状態でコップの周りに纏わせたり、布そのものを折ることで折り鶴などの立体物へと落とし込んだ。
これらの複数の新たな手法により、ろうけつ染めは従来の具象的な表現ではなく、抽象的な美しさを持つ表現も可能となった。